沿革
保元2年(後白河天皇の御代1157年)、越前押領使林六郎太夫光明公当社を崇敬され社殿の寄進がありましたが、天正10年8月(正親町天皇の御代1582年)火災の為焼失、依って慶長7年3月(後陽成天皇の御代1602年)御造宮、越えて享保12年9月(中御門天皇の御代1727年)大破後再建されました。
昔は7月8日に祇園祭りがあって木田七郷を御輿の渡御があり社宝の猿田彦大神の面、獅子頭が巡行して賑わったものであります。昭和の初め頃まで続いたこのお祭りも諸種の事情で中止になり今は5月15日に変更された春季大祭として木田氏子区内を御鳳輦の渡御と猿田彦大神の面、獅子頭が巡行しています。
昭和23年6月、福井大震災により本殿を除く他の建造物は悉く大破、復興奉賛会が結成され同29年再建竣工。同31年氏子会館、同42年5月神輿殿が建てられました。明治維新の際「木田天皇宮」を「氷川神社」と改称、」後「木田神社」と改めました。
昭和61年、本殿・拝殿銅版葺き替え。平成6年氏子会館・社務所が改築されました。

猿田彦大神の面及び獅子頭


山奥町湯浅家の祖先は紀州の高名なる武将でありましたが、
養老年中(元正天皇の御代、1250年前)越前国に逃れ、山奥町の辺りに
庵を結び本国より携い来れる家宝の猿田彦大神の面、獅子頭を石の唐櫃に
納め山際に埋めしを後年木田天王宮に奉安せよとの霊夢により、
奉納したものであると伝えられています。
爾来祭礼には(写しを造り)里帰りと称し先ず湯浅家に御渡りある定めで
又埋めたといわれる遺跡も現存しています。

猿田彦大神の面
獅子頭

 

 
四神旗
白虎
朱雀
青龍
玄武
 
神牛の石像

拝殿横に奉られています



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